柴犬のお話 今度こそずっと一緒

 

今回は僕のハンドルネームでもある、柴犬のあまごの話をします。

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僕は実家で柴犬を飼っていました。

僕が小学生の頃、「欲しい」とねだり、

父が知り合いから譲ってもらった「ラッキー」というオス犬でした。

 

僕が飛騨に引っ越した時、ラッキーは12歳でした。

歳をとって、1日の大半を寝て過ごすようになっていたラッキーは、

僕の出発の日に頑張って体を起こし、さびしそうに手の平をなめてくれました。

 

何も考えずに引っ越すことを決めてしまった僕でしたが、さすがにこの時は少し後悔しましたね。

本当なら自分がきちんとラッキーの最期を看取らなきゃいけなかったのに。

 

ごめんな…。

ちゃんと時々帰ってくるからな。

 

そう告げて僕は実家を離れ、

 

その年の秋、

 

ラッキーは逝ってしまいました。

 

 

僕は実家からその連絡を受け、

あと4ヶ月、たったの4ヶ月だけ、飛騨に移り住むのが遅くなっていたら、

きちんと最期を看取ることができたのに。

 

本当に悲しかったです。

 

 

それから数ヶ月。

 

季節は冬になりました。

 

住み始めた山間の集落で迎える最初の冬。

 

夏はとても情緒に溢れたこの土地も、冬には一変します。

増してやこの年は「昭和56年以来の豪雪」という年で、

夜更けに降り出した雪は朝までに家を丸ごと覆い隠してしまうほどの降り様でした。

 

雪は、まるで周囲の音をすべて吸って、消し去ってしまうような錯覚を覚えます。

川の音も、風の音もなく、

夏の緑も、秋の紅葉も消え、白一色のモノクロの世界。

気温はマイナス15度くらいまで下がる日もありました。

 

僕は、なんとなく家族が恋しくなっていました

 

そんなある日、動物病院で柴犬を保護しているという話を聞きました。

 

「飼わなくても良いから見においで」なんて言われ、

のこのこ行ってしまったのが運の尽き(^_^;)

 

生後3ヶ月の子犬が可愛くないワケがありませんでした。

 

でも僕は一人暮らしだし、仕事柄、宿直なんかもあって、

留守番ばかりをさせてしまうことは分かりきっていて、

「もしこのまま最後まで里親が見つからなくて、保健所にやってしまうようであれば僕にください」と伝え、

結局、僕のところにやって来たのでした。

 

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聞けばその子の誕生日は、

なんと死んだラッキーの命日だったという偶然。

 

不思議な縁を感じました。

 

その時に思ったことは、

今度こそ最期まで一緒にいような

 

今度は、

今度こそは約束だ。

 

今も僕の足元でゴロゴロお腹を出して寝ています。

どうかずっと元気で、少しでも長生きして

欲しいと思います。

 

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